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パネルディスカッション
食のチカラ、地域のチカラ

1次産業活性化へ、連携の重要性確認

東北七新聞社協議会による「東北発ニッポン元気アクション フォーラムin青森」が10月26日、青森市のホテル青森で開かれた。基調講演や医学講座に続いて「食のチカラ、地域のチカラ」をテーマにパネルディスカッションを展開。6次産業化やまちおこしの課題について意見交換し、1次産業の魅力アップと加工業、サービス業との連携の重要性を再確認したほか、人材育成などの取り組みを地域の元気づくりに結びつけていくヒントを考えた。

  • パネリスト
  • ■ 青森県農業経営者協会りんご部会会長 津川 登さん
  • ■ 青森県大間まちおこしゲリラ集団・あおぞら組組長 島 康子さん
  • ■ 青森県深浦町食産業振興公社事務局長兼企画開発部長 山本 昭彦さん
  • コーディネーター
  • 21あおもり産業総合支援センター青森県よろず支援拠点コーディネーター 加藤 哲也さん

リンゴの輸出工夫を 津川/ 6次産業化で頑張る 島
豊富な産物見つめて 山本 / 人材育成を徹底的に 加藤

津川 登さん

津川 登さん

加藤 「地方創生」で大きな力になるのは食。特に東北地方や青森県は食で元気にならなくてはいけないと思う。自己紹介を兼ねて、それぞれの取り組みを聞きたい。

津川 1990年、株式会社「あおもりりんごランド」を設立した。いかに売り上げを伸ばすかを考えて、ジュース、ジャム、ゼリーなどの加工もやってきた。中国や台湾には自ら足を運び、自分のリンゴが外国で競争できるか、現地の価格などを調べている。

 大間町に生まれたことに、実はずっと劣等感を抱いていた。目が覚めたのは東京から大間に帰ってきた1998年。漁師のおじさんのキャラのすごさに触れ、食と人間が結びついていることに気が付いた。来年春に北陸新幹線が開業する石川県では、加賀温泉郷で働く女性たちが「レディー・カガ」を名乗り、話題になった。再来年春の北海道新幹線開業を控え、私たちも今が頑張り時。「カガ」に対抗して、津軽海峡周辺の女たちが手を組み、今年3月に「津軽海峡マグロ女子会」を立ち上げた。

山本 6次産業化とは、農業者や漁業者が生産から流通・販売まで行う仕組み。最近はずいぶんと耳にするようになったが、農家1人でやるのは大変。そこで深浦町は、行政が加工場を建設した。農業者は農業に専念して、町の加工場で加工し、地域の土産品店やメーカーが一生懸命売る。地域の中で役割分担した6次産業化に取り組んでいる。

島 康子さん

島 康子さん

加藤 食で雇用を生み、産業に育てないと地域の幸せにはつながらない。どうも食はイベントにとどまりがち。土日に人は来ても、平日の仕事につながらない。地域の食が有名になっても、それが仕事に結び付かないのでは困る。

山本 町は特産品開発を30年も前からやってきた。でも、なかなかうまくいっていない。大事なのは、地域の中に加工技術をしっかり定着させ、時代に合った加工品をつくること。時代を見据え、地域全体が潤う加工場にしたい。

 2000年当時は、大間町で大間マグロは食べられなかった。01年に初開催した「大間超マグロ祭り」では、たった1本のマグロを解体して、それを町内の飲食店に卸して1週間だけ大間マグロを食べられますよ─というところから始めた。そんな取り組みを積み重ねて、今は飲食店や宿泊施設でマグロを出せるようになり、加工品開発、マグロにまつわる観光ガイドをやる人も出てきた。マグロを核に、いろいろな商売をするプレーヤーがようやく出てきた。「マグロの町」だと胸を張れるまで10年かかった。

加藤 新しい仕組みをつくるのは1年や2年ではできない。

山本 昭彦さん

山本 昭彦さん

山本 私も同じような仕事を11年続けている。行政もこれからは地域を経営するという視点が必要。私は深浦に生まれ、いったん東京に就職して帰ってきた。人口減少、高齢化、1次産業の低迷、公共事業の減少など環境は厳しいが、このまま廃れていいのか。子どもたちに地域を確実に引き渡すためには、豊富な農産物や水産物、世界遺産の白神山地など、足下にあるものを見つめ直し、うまく活用するしかない。

津川 中国や台湾に行ってきたという話をしたが、リンゴ輸出は今や世界競争。売り方をもっと工夫しないといけない。この10年で、時代はものすごく変わっている。世の中の流れは畑と家の往復だけでは分からない。今はインターネットがあるが、ネットでは安いリンゴしか売れない。これだけ手間を掛けて土づくりも頑張っているのだから、自分で値段を決めて自分で売りたいというのが本音。そのためには、相対で人と接して、リンゴに愛情をかけていることを分かってもらわなければいけない。

加藤 農業なくして加工業はなく、農業なくして観光業もない。今の農業をしっかり守ることが重要。

津川 いいものは作っているけど、売れないから安く売るというのが青森県の現状。高く評価してもらうために、いろいろな取り組みをしている。たとえばアップルパイ。品種別に王林、紅玉、陸奥(むつ)、ふじの商品を1年がかりでつくった。パイ生地には一流のものを使った。あそこなら加工をお願いしたいと思われるようになれば、働く人が夢を持てる。後継者や担い手不足の中でも、魅力ある農業をやっていきたい。

加藤 哲也さん

加藤 哲也さん

山本 加工場を通じてメーカーやレストランと取引をしていると、お客さんの声がダイレクトに入ってくるようになる。情報戦略が大事。お客さんの要望に応えられる加工場にしたい。6次産業化は今、全国で行われていて、ますます地域間競争が激しくなってきたと思う。深浦にあって他の地域にないもの、深浦になく他の地域にあるものがある。これから先は、お互いの強みを補完し合いながら、連携して県全体を元気づけられたらと考えている。

 先日、町長が「大間・まぐろ町宣言」をした。深浦町のように、しっかり6次産業化をやって仕事や産業を生みだそう、観光を含めてお客さんがお金を使いたくなる仕組みをつくろうと、大間のみんながようやくベクトルをそろえることができた。ここから頑張るぞ、と立ち上がったところ。

加藤 いくつかキーワードが出てきた。まずは連携。農業と加工業、サービス業の連携。地域間連携もある。力を合わせることが、地方や中小事業者にとって重要。あとは人材育成と仕組みづくり。一言、これらをじっくりやるということを付け加えたい。10年、20年かかっても徹底的にやること。住民も、行政も、マスコミも、みんなでじっくりこつこつやることが重要だと感じる。

  • つがわ・のぼる 農業高校を卒業後、就農。若手農家として4Hクラブ、青森県りんご協会青年部などの活動に参加。結婚を機にリンゴの産直を開始。1990年、あおもりりんごランド(現・青森りんごランド)設立。生産から加工、販売を自社で行う。黒石市出身。同市在住。61歳
  • しま・やすこ 慶応大学法学部卒業後、リクルート入社。Uターンし2000年、あおぞら組を結成。今年3月、北海道の道南、青森県の女性たちと連携し、津軽海峡マグロ女子会を結成。あおもり観光デザイン会議代表。青森県大間町出身。同町在住。49歳
  • やまもと・あきひこ 高校卒業後に上京し大手運輸会社に就職。1991年、深浦町職員に採用。2006年、特産品認定制度を創設。これをきっかけに地域6次産業化による地域振興策を構想し12年7月、加工場建設、公社設立にかかわる。深浦町出身、同町在住。45歳
  • かとう・てつや 東北大学大学院農学研究科修了後、味の素入社。2006年に退社。青森県弘前市に移住し、コーディネーターとして青森県内外の中小企業を支援。さまざまなプロジェクトのマネージャーとして食産業の振興のため活動。金沢市出身。弘前市在住。47歳

会場ロビーに展示された本年度分の特集紙面に見入る来場者

俳優 梅沢 富美男さん

基調講演

「幸せな食卓」/ 人と人をつなぐ「食

俳優 梅沢 富美男さん

梅沢富美男(うめざわ・とみお 本名・池田富美男、俳優)。1965年、本格的に梅沢劇団で役者に。82年、ドラマ「淋しいのはお前だけじゃない」で人気に火が付き同年、「夢芝居」で歌手デビュー。舞台の全国ツアー、テレビ、映画などで活躍。梅沢劇団座長。福島市出身。64歳。

僕の父(大衆演劇一座の座長だった故・梅沢清さん)は北九州生まれで、母(娘歌舞伎で活躍した故・竹沢籠千代さん)は青森県藤崎町生まれ。だから僕には北九州と青森の血が半分ずつ入っている。

生まれ育ったのは、父が出征中、母が疎開で移り住んだ福島市。小さいころから舞台を見ていたからだろう。1歳5カ月のとき、芝居小屋の花道でおしめ姿で歌に合わせて踊り、客が拍手喝采。母は腰を抜かしながらも「これは商売になる」と(笑い)。1歳7カ月でもう初舞台を踏んでいた。

小学校入学時は名子役でスター扱い。だが、映画の流行やテレビの登場で大衆演劇がはやらなくなり、裕福な暮らしから一転して貧乏に。3年生では給食費も払えず、昼になると校庭に行った。こんなつらい思いをするのは自分だけだろうと思いきや、同じように何人もが校舎からぞろぞろ出てきた。

そこまで貧乏しながらも、母は食事の手を抜かなかった。母の味で懐かしいのが、青森の名物「(だし汁でみそを溶き、卵でとじる)卵みそ」。風邪をひくと必ず作ってくれた。母には祖母が作ってくれたそう。そうやって、母から子へと料理が伝わっていく。

料理で一番大事なのは家庭料理だと思っている。自分のおなかを痛めて生んだ子の口に入れるんだから、一番安全な食べ物に違いない。

いい料理とは高級な素材を使った料理ではない。母が作ってくれた愛情たっぷりの料理が食べたい。故郷を離れた人間が、地元に帰ってきて一番食べたいのは郷土の料理ではないか。

役者は貧乏なものだから、自分は絶対にならないと思っていた。ところが中学を卒業するころ、東京・上野のレストランで兄にハンバーグステーキライスをおごられた。人生で初めて食べて、いやー、うまいもんだな、と。その恩義があるから、公演中の兄の芝居小屋に顔を出し、舞台に立つはめに。結局、役者になっちゃった。

こうして振り返ると、人生の節目節目には「食」がついて回っている。

僕は料理をやるのも大好きだが、料理の基本を教えてくれたのも母。母は料理しながら、よく「調味料を入れるわね。愛情というね」と言っていたのを覚えている。

東日本大震災で忘れられないのが、青森県の知り合いから「被災地は野菜が足りないだろうから持って行ってくれ」と、4トントラック1台分を託されたこと。青森だって被害があったのに、もっと大変な場所に持って行ってくれという。何と素晴らしいことか。

郡山市に避難していた85歳のおばあちゃんは、息子夫婦と孫2人を亡くし、「なんで私が助かったのか。神様がいるなら、私の命と4人のうちの誰かを交換してくれ」と泣いていた。そのおばあちゃんに「そんなこと言っちゃだめ。せっかく助かった命なんだから頑張りましょうよ」と慰めていたのが、中2の女の子。彼女は両親を亡くしていたのに。その子が、僕が作ったわかめ入りけんちん汁をおばあちゃんに食べさせてくれた。
「食」が人と人をつないでくれることを実感した。

東北のことを僕は古里だと思っている。東北6県には海の物も山の物も、素晴らしい食材がたくさんある。その素晴らしい食材で、どうかおいしい料理を作ってください。